RPF×関商店RPFは関商店から始まった

開発の流れ
きっかけはきれいなゴミ「ラミネート古紙」

RPFの発想

~きれいなゴミ「ラミネート古紙」×「もったいない」~

石炭や化石燃料の代替として知られ、各方面で利用されているRPF。
実はRPFの発想は、大量に発生していたきれいなゴミ「ラミネート紙」を焼却や埋め立て処理をするなんてもったいない、なんとか有効活用できる方法はないかと前代表取締役関勝四郎が研究を始めたことがきっかけでした。
研究を続ける中で、関は日々発生し続けている廃棄物に対して、一刻も早く環境保全上問題の少ない、経済的にも成立するリサイクルシステムを開発し、社会に貢献しなければならないと強く考えるようになったのです。

世界を周り、RPFのヒントはドッグフード工場に

RPFの開発

~関商店×RPFの誕生~

関はリサイクルシステムを構築する上で、
①環境保全上全ての人々がほぼ納得できること
②持続性を持ち大量に活用できること
③コスト面など経済的に成立できることを3つの最低条件として掲げました。

関商店はこうした条件を元に生まれた燃料製造事業であり、古紙や廃プラスチック類を原料とし、石炭と同等のカロリーを持つ固形燃料「RPF」の開発に成功しました。
当初、RPFは直径40㎜の棒状燃料でしたが、後に直径8㎜の粒状製品を製造する技術を確立。
粒状製品を確立させるにあたり、関はドイツで見たドッグフード工場を参考に製造したという説もあります。
現在の関商店では、直径35㎜と15㎜のRPFを製造しております。

RPFの拡販と開発の思い

RPFの拡販

~日本初のRPF工場×品質管理への想い~

RPFの受注活動を行い、幸いにも足利市の染色会社の新ボイラーでの使用が決まりました。この新ボイラーと歩調を合わせるためにRPFの製造工場を群馬県館林市に建設することとしたのです。
これが1991年に稼働した日本初のRPF工場である館林工場です。

RPFの製造に関し、まず関は産業廃棄物の選別・配送・製造を一貫して行うシステムを構築しました。これはRPFを燃料として流通させるために最も重要である塩素濃度を抑えるためです。
稼働当初よりボイラーの塩素による腐食問題、ダイオキシンの問題等への関心が強く、これが現在の高品質なRPFへと繋がっているのです。

未来をつくるこれからの挑戦

RPFの未来

~「新エネルギー法」第一号×RPF工業会発足~

1997年に通産省より「新エネルギー法」の第1号を認定することをきっかけにRPFが優れた燃料であるということが広く認められると製紙業界をはじめ、石灰・鉄鋼業界などユーザーが一気に拡大しました。
そして、RPFに対する市場の信頼を確固たるものにすべく、当社と協業先が母体となり「日本RPF工業会」を発足しました。

これにより関は初代会長として、RPFが環境面や経済面で大変優れた燃料であることを更に世の中へ周知することに成功したのです。
RPFのパイオニアとして、関商店が築き上げた技術や想いはこれからも未来を創造していきます。